喜びの共有。
他人の幸せを自分事のように喜べる自分が存在する。
片や自分の喜びを分かち合いたいと思いながらも繋がらない存在もある。
本当は、分かち合いたいと思うのは、分かち合えない事を知っているからかもしれない。
他人の事ならば語り合えるのに自分事には、無関心な自分。。
それが歯痒くて寂しくて誰かと代わりに共有して納得させようとする。
交われない者は、どこまで行っても平行線だと知っていてそれでも諦めず果敢に挑戦努力もした。
でも手放そう。
それは、愛ではないよ。
依存だよ。
依存の中には愛は、存在しない。
支配と依存の反転の繰り返しは、ただ疲れるだけ。。どんな方法論も太刀打ち出来ない。
所詮調和の無い所に愛は、存在しない。
世界でたった一人でいいから。。あるがままの自分に心の居場所を与えてくれる暖かい鏡が欲しかった。
誰かの鏡に自分を映しても歪んでぼやけて自分は、映らないのかもしれない。
自分の閉ざした扉を開く鍵を持つ究極の鏡は、自我を捨てた生まれたての自分にならないと出会えないのかなぁ。。
思い込みやコントロールやプラス思考がある間は、まだまだ出会えない大切な自分。。
早く自分の脱け殻を脱ぎ捨ててピカピカになりたい。
いやっもう既になっている。